
今 昭和の喫茶店がZ世代を中心にブームだそうです。
「Z世代」とは、1990年代半ばから2010年代序盤に生まれた若い世代で、年齢的に言うと 2025年現在で16歳頃から30歳頃までの世代 と言われています。
と言ってもね すでにスタバを筆頭のカフェに押されて かなりの数の昔ながらの昭和スタイルの喫茶店は 姿を消してしまいました。
まっ これは喫茶店に限らず なんですけど でも今 それぞれの分野で昭和スタイルが復活してきているようで 僕ら昭和世代にとってはうれしい限り。
姿を消して久しい マッチ
Z世代もそうかもしれないけど マッチを知らない あるいは マッチの付け方を知らない って子もいるようです。
仕方ないですよね 身近にマッチがないんだから。
テレビのチャンネル回す とか 電話のダイヤル回す とか意味わかんねぇ ってのも。
僕のマッチ箱コレクション
前置きが長くなりましたが 実は 僕 高校くらいからかな マッチ箱を集めていたんです。
喫茶店が多いけど その他 昔は多くの施設で名入れのマッチをお客さんに渡していたんです。
タバコを大っぴらに吸える環境だったってこともありますからね。
すでに メルカリで多くを売ってしまっていますけど まだまだたくさん残っているんですよ。
200個以上はあるかな。
ほんの一部ですけど ご紹介しますね。
北海道
高校3年の夏休み 部活を引退した後に行った 北海道旅行。
その時のマッチ。

関西
これは高校2年の 最初の大阪万博に行った時と 大学の時に遊びに行った時のもの。
大阪だけでなく 京都 滋賀 神戸。



ラブホ・ディスコ・ボーリング場 他
あまり大きな声で言えることではないけど 当時のモーテル 今で言う ラブホ ですね。
それから ディスコに入り浸っていたし ボーリングもかなりやりました。
サウナもね 50年以上前からサウナーでした。


↓ JALのマッチ 僕は記憶にないから 多分 親父がもらってきたのだと思う。


↓ 僕が高校の時にバイトしていたレストラン 野毛 と書いてあるところで 桜木町駅前のゴールデンセンター 今 ぴおシティ というビルの地下2階。お店はもうないけど ビルは55年経った今も健在です。


スキー場
アルペンスキーのホームゲレンデだった 八方尾根
ノルディックスキーのホームだった 野沢温泉
他 まあまあ いろんなスキー場に行きました。
中で 八方では まるご荘さん 野沢では とうふ屋さんに お世話になっていました。
どちらも 今も現役で頑張っています。
まるご荘さんのおじいちゃんが 『ほうけ ようきたな』 と迎えてくれたのが懐かしい。
野沢のとうふ屋さんは その名の通り 本業は おとうふ屋さん。
2年前に訪れたときには 当時の若女将が迎えてくれて 僕が大学の時には 小学生の くりくりの坊主頭だった子が とうふ屋のご主人として頑張っていました。
お茶に出してくれた 揚げもち と お汁粉 が懐かしい。
そして 自家製の本場の野沢菜は絶品でした。
もちろん外湯はすべて制覇していますよ。



地元 横浜・鎌倉 他 神奈川県
僕は生まれも育ちも横浜市西区。
横浜のど真ん中なので 横浜のお店のマッチが一番多いかな。

↓ 鎌倉山のドイツレストラン メルヘンヒュッテ 庭園の中にあった思い出のお店。

伝説の 茅ヶ崎 パシフィックホテルのマッチ。
加山雄三が経営していたことで知られていました。
ビリヤードやりによく行ったなぁ。
つぶれてしまっているのが残念。
ホテルもつぶれちゃったけどね。



東京
高校になると 東京へよく行くようになります。
東京でも喫茶店によく行ってました。
大学は埼玉だったけど ほぼ東京なので 帰りに 後楽園球場で巨人戦 ディスコ 飲み屋 喫茶店 行ったなぁ。

↓ 大学の帰りに寄っていた 上野のアルハムブラ お店はもうないけど ビルはそのままです。

↓ 記憶はないけど 銀座三愛ビルの 自動車のマツダのパーラー。
ロータリーエンジンを模した丸いマッチが珍しいですね。


各地
それほど多くはないけど 行った先々のお店のマッチもあります。

↓ うちは建設業者相手の金物屋だったので マキタ製品 をかなり売っていました。
当時はお客さんにマッチを配っていたんですね。



もうメルカリで処分します
僕も もう そろそろ終活に入る年代。
このマッチ箱もメルカリに出品する予定です。
今までもメルカリで持っていても仕方のないものを処分してきました。
旧国鉄の 硬券 は人気だったなぁ。



レコードも少しづつ処分しています。




金物屋時代の残しておいたのもかなり処分しました。


でも まだまだ 処分したいものはたくさんあります。
ってことで 今日は 昭和のマッチ箱 でした。






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